母親からの「アドラー」の教え

 

「嫌われる勇気」

 

この本には読み手の家族・会社・友人関係はじめ、ありとあらゆる人間関係を想像させながら話を展開するうまさがある。

 

僕の頭の中でも周囲の知人がグルグル入れ替わり立ち替わりするなかで、

 

なぜか少年時代の「僕」と「母親」との関係が何度もスライドインされてきた。

 

僕の少年時代の家庭環境は、

 

父親は魚の卸売をしていて深夜に出勤し昼前に帰ってくる生活で、

 

母親は病弱で時々入院することもあり専業主婦をせざるを得ない状況だった。

 

父親とは昼夜逆転の生活だったのでそもそも物理的に会話をする時間がなく、

 

母親は体調が悪い時にはどうしても自分のことで精一杯だったので、

 

少年時代には両親から勉強をはじめとして何も強制されることがなかった。

 

なので、やるのもやらないのも全て自分の意思次第。

 

そうなると、小学生の時はまさにゲーム三昧。朝から晩までファミコンをしていた。

 

なので、成績は中の下ぐらい。

 

自分をコントロールできない年代だとこうなるのは当たり前だ。

 

中学になって規律の厳しいクラブに入り自分をある程度律することができるようになってくると

 

自然と勉強に目が向くようになっていった。今でも不思議である。

 

自分が親の立場になって今でもすごいと思うのが、

 

両親はテストの点数が良くても悪くてもノーリアクションだったことだ。

 

そもそも何点かという点数すら見ようとも聞こうともしない、全く関心のない姿勢だったことである。

 

怒られていたのは「人」としての道徳的な教育の部分だけであり、それ以外は全くの無干渉のなかで育ってきた。

 

なので、金銭的には裕福な家庭だとは言えなかったが

 

それを不満に思った事は一度もなく、

 

「心の自由」があったなかで小中学校時代を過ごしてきたと思う。

 

これは「アドラー」の教えでいうと他人の課題には一切介入しない「課題の分離」や

 

他者を信頼する、「共同体感覚」の話に通ずるところがあり、

 

他にも「アドラー」の教えと重なる状況が幾つもあった。

 

この崇高な「アドラー」の教えを両親から享受できたのは、

 

生活が真逆だった父親と母親が病気だったことにある。

 

特に母親については自身が病弱だったので、常に僕と弟に対しては「健康でいてくれること」を心の底から望んでいてくれたし、

 

逆にそれ以外の事は本当に何も望んでいなかった。

 

「アドラー」の教えは他者との関係性をシンプルに考えるための思想論になっていて、

 

著書の言葉を引用させてもらうと

 

ここに存在しているだけで、価値がある

 

という部分が僕たちに対する母親の接し方(愛情)と深く通づるところがあったのだと思う。

 

一方、そんな愛情を注いでもらったにもかかわらず、自分は子供達に対して母親のように接することができていない。

 

生活習慣を始めとして成績や進路に対しても色々と口出し・干渉をしたくなる。

 

「アドラー」的には親としては失格である。。。

 

この本を読んで自身の子供に対する向き合い方を見直すよい機会になった。

 

このように、この本は自身の人間関係を再整理して価値観を見直し、前に進んでいくための「勇気」を与えてくれる。

 

普段は見えない他人とごちゃごちゃに絡まった「糸」をきれいに解きほぐしてくれる感じだ。

 

なので10代〜30代の人ではなく、

 

家庭では成長期の子供を持ち、会社ではある程度の部下がいるような

 

多数の人間関係を持つ40代の人たちにオススメする。

 

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今、中3と小5の子供たちがいるが色々と悩みも多い。

 

自分が息子たちと同じ年齢の頃にどう考えて接していたのか、

 

アドラー的母親に相談してみたいがもう聞くこともできない。

 

子供の頃から変わらず、遠いところからただ温かく見守ってくれているだけである。

 

おわり

 

ABOUTこの記事をかいた人

神戸で働く、ITエンジニア   IT×グローバル×医療で世の中に貢献できるよう、日々奮闘中。 スポーツと海外旅行が趣味です。